帯広の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

北海道帯広市歴史探訪
帯広市の概要
帯広市は、十勝平野中心部に位置し、北海道では6番目に大きな都市です。明治16年(1883年)に、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が入植し、十勝地方の農産物の集散地として発展しました。帯広を含む十勝の農業は大型農業機械による大規模畑作経営が中心であり、主な作物は小麦・ジャガイモ・ビート・豆で、近年は長イモやごぼうといった、この地域特産の野菜の生産も進んでいます。市街は、アメリカの首都ワシントンD.C.にならい、計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の区画が四方に広がっています。現在、都心地区に高次都市機能を集積、都市圏と農村圏の広域的機能連携を図る田園都市形成を推進しています。

帯広のあゆみ
帯広は、1870年代に開拓が始められましたが、すでに十勝にはアイヌの人々が住む村々がありました。ほとんどが原生林の続く原野で、内陸への交通手段は十勝川の舟運のみとなっており、その不便さから十勝の開拓は道央・道南の後に回されました。

依田勉三ら開拓団は、十勝を有望な農業地として見込み、開拓を始め、帯広を中心にして、原野であった十勝の植民地区画整備が進めていきました。測候所や駅、郵便局、警察署などが徐々に設置され、農作物の試作なども行われました。各地から開拓希望者を受け入れるため、交通網の整備も盛んに行われ、十勝川河口までの舟運と、旭川まで開通していた鉄道をつなぐ大津街道・広尾街道ができ、函館港から大津までの定期航路も運航されました。

1900年代になると、人口も増え、行政区としての村の分離が始まり、明治35年(1902年)に町村制施行し、帯広町となりました。鉄道の開通は農作物の運輸にも力を発揮することとなり、十勝は経済的に飛躍し、帯広を中心に商業施設や住宅などが集積します。広大な土地から質の高い作物が生産されるなど、「豆景気」と呼ばれる経済的発展の時代が訪れ、市街地だけでなく農村にも財力が蓄積されました。

市町村区分は大正、昭和と時代を経て、分離・合併開村し、各地に役場も設置され、昭和8年(1933年)には帯広市が誕生しました。開拓の時代から続く農業ばかりでなく、工業・加工施設建設、国立公園・温泉開発などの観光事業に注力し、高度経済成長の時代から近年に至るまで、各地で近代的な施設や道路の建設、住宅地の開発が進められました。現在では先進的畑作農業、商業、観光と道東を代表する地域の一つとなっています。


帯広の名前の由来
帯広という地名は、アイヌ語「オペレペレケプ」(川尻が幾つにも裂けている所)または「オベリベリ」(湧き水が流れる口)が由来とされています。


帯広の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
帯広百年記念館
住所: 帯広市緑ヶ丘2 [地図を見る]
電話番号: 0155-24-5352
開館時間: 9:30〜16:30
休館日: 月曜日、祝日の翌日(ただし土・日曜日の場合は開館)、12月29日〜1月3日
入館料: 高校 300円(150円)、大人 400円(200円)、十勝管内在住65歳以上の方 200円
※小・中学生は無料
※()は30名以上の団体料金







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